【阪神淡路大震災】あれから27年。死と隣り合わせになったある青年の体験談。

生活

早朝の大地震で多くの命が失われた«阪神淡路大震災»から27年が経過しました。

 

震災当日、関東で暮らしていた私は目覚めて最初に飛び込んできたNHKのニュースの映像がまさか日本国内でリアルタイムに起こっている出来事だとは信じられず、ただ見つめることしかできませんでした。

 

次々流れてくる被害映像に「大変なことが起きた」とようやく理解し、暗い気持ちになったのを覚えています。

 

昨年、被害の大きかった神戸市灘区で被災したという方の話を聞く機会があったのですが、「今の生活が明日も続く保証はない」と改めて考えさせられる内容だったため、一人でも多くの方に今そこにある幸せを感じていただけるよう、ここに記しておこうと思います。

 

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

平成7年の1月、彼は某大学の学生でした。

 

実家が遠方のため、大学からほど近い神戸市灘区の2階建ての木造アパートの1階に1人で暮らしており、近隣住民の多くが学生だったそうです。

 

震災前日の16日深夜から17日未明にかけ試験に備えて勉強に励んでいて、朝の5時頃に「大学へ行くまでにまだ時間があるから一旦寝よう」と寝ていた矢先…

 

ドーン!!!!!!

 

と下から突き上げられ、ビックリして一瞬で目覚めたと言います。

 

トラックか何かが近隣に突っ込んだと疑わなかったそうで、とりあえず起きて様子を見ようと思ったものの、身体が動かないことにそこで初めて気付きました。

 

辺りはまだ暗く、何がどうなっているのかわからない状態でしばらく過ごすと、夜明けとともに周りの様子がわかり始めました。

 

まず驚いたのが、自分の顔からわずか数センチのところにあるはずもない天井があったこと。

 

首は動いたので左右を見てみると、壁や窓ガラスが散乱。

 

地震が起きたということが理解できた瞬間でした。

 

とはいえ、今日は試験日。

 

まさか神戸の街が地震で壊滅状態だとは思わなかったため、「こうしちゃいられない、絶対に大学に行かねば…」と本気で思ったそうです。

 

とにかくここから脱出しようと試みるも、動こうにも天井が目の前にあるため動けない、しかもどうやら何かに足を挟んでいるらしく、自力では動くことが困難でした。

 

そうこうしているうちに外からは人を救出しようと声をかけあっている様子が伝わってきたとのことで、彼は「自分以外にも似たような状況の人がいるんだな」と把握。

 

自身も助けてもらいたかったものの、「意識はあるしただ足が挟まって動けないだけだから後で助けてもらえばいい、他に重症者がいるならそちらを先に」と思っていたそうです。

 

どれだけ時間がたったのかはわからないけれど、周辺に何となく焦げたにおいが漂い始めました。

 

それから遅れて

 

パチパチパチ……

 

という音も。

 

この音を聞いた瞬間彼は一気に血の気が引いたそうです。

 

「近くで火事が起こっている…」

 

悟った瞬間、身体にある力を振り絞って咄嗟に助けを求めました。

 

「誰かいますかーーーー!!!」

 

しかし何度叫んでも、周りの音に埋もれてしまい、誰にも声が届かない。

 

この時初めて彼は死を覚悟したと言います。

 

 

何度呼んでも人は来ない。

 

かといって休んでいる暇はない。

 

パチパチ音はどんどん近付いている。

 

絶対に諦めてはいけない。

 

「助けて!!」

 

「助けて!!」

 

「助けてーーー!!!」

 

とにかく助かりたい一心で助けを求めた結果、偶然気付いてくれた人がいました。

 

「人がおるぞ!!」

 

その人が何人か人を集めてきてくれ、身体を天井やがれきの中から助けようとしてくれています。

 

散乱している家財や瓦などを押しのけ、自分の近くにその方が来てくれた時、彼は心底ホッとしたそうです。

 

助けに来てくれた方に様子を聞くと、彼のアパートの1階はすべて倒壊していると。

 

しかし彼はベッドのフレームが天井を支えたため、運よく助かったのだということを知りました。

 

火の手が迫っているため、とにかく早く救出をとのことで、脇を掴まれ、

 

「せーの!!」

 

と引っ張られた瞬間…

 

背中に感じたことのない鋭い痛みが…。

 

「痛い痛い痛い!!!!!!」

 

身体は無事にアパートから引っ張り出されたのですが、背中は血でべっとり…。

 

割れた窓ガラスが周りに散乱する中引っ張ってもらったため、背中を割れたガラスで何か所も切ったのです。

 

すぐに病院に行き、背中の傷と足の治療をしてもらいました。

 

後に、同じアパートで暮らしていた学生のほとんどが地震で亡くなったことを知りました。

 

彼の背中には、この時の傷跡が今でもしっかり残っているとのことです。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

今日と似たような明日がまた来る。

平和に暮らしていたらそんな感覚になりますよね。

 

阪神淡路大震災の前日に、まさか明日大きな地震が来て今日までの生活が一変するなんて誰も思わなかったことでしょう。

 

6,434人もの犠牲者を出した阪神淡路大震災。

 

死因の9割は建物倒壊による圧死で、その死因となった建物の98%が旧耐震基準(1981年以前に建てられたもの)によって建てられていたものだそうです。

 

この地震を教訓に耐震基準が厳しくなり、現代では阪神淡路大震災当時よりも家屋が倒壊しづらい造りになってはいるのですが、2016年に起きた熊本地震では築年数の浅い建物も残念ながら倒壊しています。

 

自然災害による被害が毎年のように起こるため、自然の驚異をそのたびに実感するようになりました。

 

日々平和に暮らせていること、家族が元気で暮らしていること。

 

日常に追われてなかなか気付きにくいことですが、今日も昨日と似たような生活が遅れているのなら十分に幸せと言えるのかもしれません。

 

 

明日も今日と似たような日々が送れたら幸せですね。

 

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